Date | Information |
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2024/12/6 | Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて劇場公開! |
2021/04/17 | 17:30上映回終了後、トークイベント開催! ゲスト:久山宏一さん(ポーランド広報文化センター) |
2021/04/10 | 13:30上映回終了後、トークイベント開催! ゲスト:篠崎誠さん(映画監督) |
2021/03/15 | 上映スケジュールはこちら |
2021/02/27 | 【特典付き】前売り鑑賞券発売開始 |
2021/02/05 | 公式ホームページオープン |
地域 | 公開日 | 劇場名 | TEL |
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北海道 | |||
札幌 | 上映終了 | シアターキノ 公式サイト | 011-231-9355 |
東北 | |||
仙台 | 上映終了 | フォーラム仙台 公式サイト | 022-728-7866 |
関東 | |||
東京 | 12/6〜 | Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下 公式サイト | 050-6875-5280 |
東京 | 上映終了 | 早稲田松竹 公式サイト | 03-3200-8968 |
東京 | 上映終了 | 下高井戸シネマ 公式サイト | 03-3328-1008 |
東京 | 上映終了 | 池袋新文芸坐 公式サイト | 03-4577-9801 |
東京 | 上映終了 | Morc阿佐ヶ谷 公式サイト | 03-5327-3725 |
東京 | 上映終了 | シアターイメージフォーラム渋谷 公式サイト | 03-5776-0114 |
横浜 | 上映終了 | 横浜シネマリン 公式サイト | 045-341-3180 |
中部・北陸 | |||
名古屋 | 上映終了 | 名古屋シネマテーク 公式サイト | 06-6582-1416 |
関西 | |||
神戸 | 上映終了 | 元町映画館 公式サイト | 078-366-2636 |
大阪 | 上映終了 | シネヌーヴォ 公式サイト | 06-6582-1416 |
京都 | 上映終了 | アップリンク京都 公式サイト | 075-600-7890 |
京都 | 上映終了 | 京都みなみ会館 公式サイト | 075-661-3993 |
九州 | |||
鹿児島 | 上映終了 | ガーデンズシネマ 公式サイト | 099-222-8746 |
大分 | 上映終了 | シネマ5 公式サイト | 097-536-4512 |
沖縄 | |||
那覇 | 上映終了 | 桜坂劇場 公式サイト | 098-860-9555 |
「トリコロール三部作(『青の愛』『白の愛』『赤の愛』)や『ふたりのベロニカ』で知られるポーランドの名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督が1988年に発表した全10篇の連作集。
もともとはテレビシリーズとして製作されたが、その質の高さが評判を呼び1989年ヴェネチア国際映画祭で上映。その後、世界中で公開され高い評価を受けた。日本では1996年に劇場で初公開され、当時最新作だった「トリコロール三部作」の人気と相まって圧倒的な支持を得た。
映画監督のスタンリー・キューブリックが「重要な作品」と絶賛したほか、エドワード・ヤン、侯孝賢など数多くの映画作家たちがキェシロフスキの才能を羨望し賞賛した。
クシシュトフ・キェシロフスキ生誕80年/没25年の記念イヤーに、最新レストレーションにより一層美しさと輝きが増したデジタル・リマスター版が公開される。
題名の「デカ」は数字の“十”、「ローグ」は“言葉”を意味し、旧約聖書の「十戒」を意味する。この「十戒の映画化」は1984年のキェシロフスキ監督作品『終わりなし』から共同で脚本を執筆しているクシシュトフ・ピェシェヴィッチの「誰か“十戒”を映画にしてくれないかな?」という何気ない一言に端を発している。
「十戒」を映画化するにあたって、キェシロフスキは巨大団地に住む様々な人々を各エピソードに分けて描くオムニバス形式を採用した。また、政治的なもの、当時の社会主義体制下のポーランドの現実の生活を想起させるものは映画からは一切排除し、人々の表側で起こっていることではなく「人々の内側で起こること」を描くことを重視したと語っている。
そうして、まるで人の心を顕微鏡で覗き込んだかのような、いまを生きる人々の孤独と愛の苦悩を、驚くほど細やかに鮮やかに描き出した珠玉の10篇が完成した。
生きていればきっと誰もが直面してしまう《人生のさまざま》。それでも、誰かに抱きしめられたときの体の温もり、やさしく声をかけられたときの心の高ぶり、キェシロフスキの向ける眼差しは鋭く厳しくもやさしい。
<誰の人生でも探求する価値があり、秘密と夢があると私は信じているんだ。>
クシシュトフ・キェシロフスキ
1941年6月27日、ポーランド・ワルシャワ生まれ。幼少期は父の仕事の都合で、ポーランド中を転々とする生活を送る。1957年に舞台演出家を目指し国立演劇専門学校に入学するが、在学中に映画の道を志すようになる。専門学校を卒業後に、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキーらを輩出した名門、ウッチ映画大学演出科に入学する。
在学中は『家族生活』(70)『コンスタンス』(80)で知られる映画監督クシシュトフ・ザヌッシに学び、多くの短編やドキュメンタリー作品を手掛け、政治活動も活発におこなう。1974年のドキュメンタリー作品『初恋』と1976年の同じくドキュメンタリー作品『病院』がクラクフ短編映画祭でグランプリを受賞し、注目を集める。
1976年の『傷跡』で劇場長編デビューを飾る。長編第2作『アマチュア』でモスクワ国際映画祭グランプリと批評家連盟賞を受賞、シカゴ国際映画祭でゴールデン・ヒューゴ賞を受賞した。しかし検閲が厳しくなるとともに、キェシロフスキの活動も制限されるようになる。1976年の『平穏』は検閲による上映延期、1981年の『偶然』と『短い労働の日(短い労働日)』は検閲による上映禁止処分を受けた。
1981年にドキュメンタリーとの決別を宣言。1988年から全10話からなる長編TVシリーズ『デカローグ』を製作。本作の完成前に第5話と第6話を劇場公開用に編集した『殺人に関する短いフィルム』と『愛に関する短いフィルム』を発表。カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど国際的に高い評価を受ける。『デカローグ』はヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞し、映画監督のスタンリー・キューブリックが「重要な映画」と大絶賛した。
1991年にはフランス資本でポーランドとフランスを舞台にした『ふたりのベロニカ』を発表。再びカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞し、主演のイレーヌ・ジャコブも主演女優賞を受賞した。
1993年からはフランス政府からの依頼でフランス国旗の三色の象徴「自由・平等・博愛」をモチーフにした「トリコロール三部作」を製作する。1993年に第1作となる『トリコロール/青の愛』を発表。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞、主演のジュリエット・ビノシュは主演女優賞を受賞した。翌1994年の第2作『トリコロール/白の愛』はベルリン国際映画祭監督賞を受賞した。三部作の締めくくりとなる第3作『トリコロール/赤の愛』はカンヌ国際映画祭に出品された。
「トリコロール三部作」を完結された後、映画監督の引退を宣言するが、1995年に復帰を宣言。新作としてダンテの『神曲』をモチーフにした「地獄篇・地上篇・天上篇」の三部作の脚本に取り掛かかる。しかし、長年患ってきた心臓病の手術を拒否し、1996年に心臓発作でこの世を去った。54歳没。
遺稿となった「天上篇」は2002年にトム・ティクヴァ監督によって『ヘブン』として映画化、「地獄篇」は2005年にダニス・タノヴィッチ監督により『美しき運命の傷痕』として映画化され、それぞれ公開された。
1966 | The Tram / Tramwaj 短編 The Office / Urząd ドキュメンタリー |
1967 | Concert of Requests / Koncert Życzeń 短編 |
1968 | フォトグラフ The Photograph / Zdjęcie ドキュメンタリー |
1969 | ウッチ市から Z Miasta Łodzi ドキュメンタリー |
1970 | 私は兵士だった Byłem Żolnierzem ドキュメンタリー Factory / Fabryka ドキュメンタリー |
1971 | Before the Rally / Przed Rajdem ドキュメンタリー |
1972 | Refrain / Refren ドキュメンタリー Between Wrocław and Zielona Góra / Między Wrocławiem A Zieloną Górą コマーシャル映画 The Principles of Safety and Hygiene in a Copper Mine / Podstawy Bhpw Kopalni Miedzi コマーシャル映画 労働者 ’71 Robotnicy ’71 : Nic o Nas Bez Nas ドキュメンタリー |
1973 | Bricklayer / Murarz ドキュメンタリー 地下道(地下通路) Przejście Podziemne TVドラマ |
1974 | X-Ray / Prześwietlenie ドキュメンタリー 初恋 Pierwsza Miłość ドキュメンタリー |
1975 | ある党員の履歴書 Życiorys ドラマ・ドキュメンタリー スタッフ(下働き) Personel TVドラマ |
1976 | 病院 Szpital ドキュメンタリー Slate / Klaps 短編 傷跡 Blizna 長編 平穏 Spokój TVドラマ |
1977 | 夜勤門番の視点から Z Punktu Widzenia Nocnego Portiera ドキュメンタリー 私は知らない Nie Wiem ドキュメンタリー |
1978 | Seven Women of Different Ages / Siedem Kobiet W Różnym Wieku ドキュメンタリー |
1979 | アマチュア Amator 長編 |
1980 | 駅 Dworzec ドキュメンタリー Talking Hands / Gadające Głowy ドキュメンタリー |
1981 | 偶然 Przypadek 長編 短い労働の日(短い労働日) Krótki Dzień Pracy 長編 |
1984 | 終りなし Bez Końca 長編 |
1988 | Seven Days a Week / Siedem Dni W Tygodniu ドキュメンタリー 殺人に関する短いフィルム Krótki Film O Zabijaniu 長編 愛に関する短いフィルム Krótki Film O Miłości 長編 デカローグ Dekalog TVシリーズ |
1991 | ふたりのベロニカ La Double Vie De Véronique 長編 |
1993 | トリコロール/青の愛 Trois Couleurs: Bleu 長編 |
1994 | トリコロール/白の愛 Trois Couleurs: Blanc 長編 トリコロール/赤の愛 Trois Couleurs: Rouge 長編 |
出演:ヴォイチェフ・クラタ(パヴェウ)/ヘンリク・バラノフスキ(クシシュトフ)
息子のパヴェウと暮らす大学教授のクシシュトフ。ある朝、パヴェウから「死って何?」と問われ、魂や神を信じないクシシュトフは戸惑う。ふたりは近所の池に張った氷の厚さを計算し、安全にスケートができることを割り出すが・・・。
<あなたは私の他になにものをも神としてはならない>
この映画の核心は、理性と直観との対決である。知の力によって真理をつかみうると確信している研究員と、信仰を持つその姉。しかしながらこの科学者が自分の科学に対して疑いの念も持っていることは興味深い。彼は氷の抵抗力を計算するのだが、しかしそれをその場で実際に確かめようともする。そして彼の最後の抵抗は一つの告白である。つまりもし彼が神の存在を信じていないのならば、彼は神に対して反抗などしないだろう。「神とは何だろう?」とパヴェウは伯母イレーナに尋ねる。彼女は彼を自分の腕の中に抱き寄せて言う。「どんな感じがする?」「愛を感じる」「そうよ」神はその中にいるのだ。神に近づくためには、神とともにいなければならないのだ。
出演:クリスタナ・ヤンダ(ドロタ)/アレクサンデル・バルディーニ(老医師)
孤独な生活を送る老医師の前にドロタと名乗る女性が訪ねてくる。彼女は危篤状態で入院している夫の容態を問いただす。彼女は夫を愛しながらも、別の男の子を身ごもっており、夫が助かるのであれば子供をおろすという。果たして医師の助言とは?
<あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない>
私にしてみれば、ことは非常にはっきりしている。一人の子どもの人生ということに向き合うならば、どんなイデオロギーもさしたる問題ではないのだ。私は妊娠中絶には反対である。しかし誰にでも選択する権利はあるし、狂信というのは常に悪である。モラルがいつも正しいとは限らないのだ。つまり、人生の複雑さこそが私を引きつける。モラルの観点からすれば、正しい選択とはつねに真実を選ぶことである。しかしここでは真実を選ぶことが善的な選択とはいえまい。真実は人生に対して配慮をしないのだから。我々は、誓いに背かざるを得なくなるのだ。
出演:ダニエル・オルブリフスキ(ヤヌーシュ)/マリア・パクルニス(エヴァ)
家族とイヴを祝っていたタクシー運転手のヤヌーシュの前にかつての恋人エヴァが現れる。彼女は現在の恋人が行方不明なので一緒に探して欲しいと頼む。ヤヌーシュは妻に嘘をつき、エヴァと共に聖夜のワルシャワを彷徨う。
<安息日を覚えてこれを聖とせよ>
これは責任ということについての物語である。ヤヌーシュは平和な家庭生活を送っている。しかし彼の妻は、彼が自分のことをほんのちょっとしか愛していないことを知っている。同時に彼は責任感の強い男で、自分を見捨ててしまうような男ではないことも知っている。やがて、彼の昔の恋人が独りぼっちで不幸な姿で現れる。ヤヌーシュの上辺だけの平和は壊れてしまう。彼は幸せではないと嘘をつく。この男の宿命は、完全に責任を果たすことがどうしても出来ないというものなのである。
出演:アドリアンナ・ビェドジェィンスカ(アンカ)/ヤヌーシュ・ガイヨス(ミハウ)
父ミハウと暮らす学生のアンカ。ミハウが出張のたびに持ち歩くのはアンカへ宛てた手紙だ。しかしある日、アンカは自宅で「死後開封」と記されたこの手紙を発見する。そこには自分を産んですぐに亡くなった母の筆跡があった。
<あなたの父と母を敬え>
私を捕らえていたのは、子どもの心というものは私達が考えているほど純粋ではないということである。現代では、子どもはしばしば親のことを忘れるために彼らを老人ホームに入れてしまう。近親相姦を扱って、私はもう一つの不透明な場所を探ることが出来た。それにこの曖昧な関係、たぶん父親である男とたぶん娘である女の関係は、私と映画を観る者の間に絶え間ない勝負を要求している。私は登場人物間の関係に興味を持たせるために、ベールを全部剥いでしまうようなことはしたくない。この作品では観客こそが真実を読みとるべきである。父親も娘も真実を知りたくないのだ。何故なら二人はたとえ血のつながりはなくとも、一緒でなければ幸せになれないだろうということを感じているからである。
出演:ミロスワフ・バカ(ヤツェック)/クシシュトフ・グロビッシュ(ピョートル)
タクシー運転手を殺害した青年ヤツェック。若き弁護士ピョートルは尽力するが力及ばず、極刑の判決が下される。刑執行の日、ヤツェックはピョートルを呼び出し、自身の家族のことを語りだす。そして最期の時が訪れる・・・。
<あなたはなにものをも殺してはならない>
私は映画作家が社会に対して大きな影響力を持っているとは思わない。しかしこの作品は、死刑の問題を取り扱う必要があってできたものである。こうした死についての問題は我々の上に重くのしかかっており、我々をすべて罪ある者にしてしまう。過去のは決して過去のものとはなり得ない。過去は常に現在と関わっているのである。何故ならそれは、我々の運命を決定し続けるちょっとした偶然の積み重ねによって構成されるからである。私はいつも登場人物たちについての、映画で描かれる以前のエピソードを思い描き、映画の中ではあたかもそれが偶然であるかのように少しずつちょっとした必然を織り込んでいくのである。
出演:グラジナ・シャポォオフスカ(マグダ)/オラフ・ルバシェンコ(トメク)
毎夜、向かいの部屋に住む美しい女性マグダを望遠鏡で見つめる郵便局で働く19歳のトメク。彼はあの手この手を使って何とか彼女への接近を試みる。トメクは遂にマグダに「愛している」と想いを伝え、デートをすることになるのだが・・・。
<あなたは姦淫してはならない>
ここでは恋愛感情は一種の倒錯から生まれているのだろうか?しかし覗き趣味は欲望と関係がある。そして欲望は恋愛の動因の一つとなっているのだ。マグダを観察するうちトメクは、彼女の滅多に他人にみせることのない部分を発見する。彼は彼女のことを物事に動じない強い女だと思っていたが、彼女が弱々しく泣いているところを見てしまう。彼が垣間見たのは、つまるところ本当の彼女の一部なのである。だからこそ彼は彼女を愛するようになるのだ。この作品の真のテーマは孤独である。この登場人物たちの間にはたくさんのガラスが存在している。それぞれは自分の場所で耐え忍んでおり、もう一人に本当にめぐり会えるまでずっと耐え続けるのだ。二人が対面するためには、スキャンダルという受けるべき報いがある。その恋が成就するか否かは大した問題ではないのだ。重要なのは主人公の変化である。試練を乗り越え、トメクとマグダは成長したのである。
出演:アンナ・ポロヌィ(エヴァ)/マヤ・バレウコフスカ(マイカ)
16歳で母となったマイカ。しかし彼女の母エヴァは世間体を気にして、娘をマイカから取り上げ自身の娘として育てていた。ある日マイカは娘を連れ出し逃避行に出る。母エヴァも2人の行方を捜す。果たして「母親であること」を巡る逃避行の結末は?
<あなたは盗みをしてはならない>
もちろん財布とか車、絵画などを盗むことは出来る。まあそれは月並みな犯罪として、最も深刻なのは心の泥棒である。私のシナリオの共同執筆者はこの映画に近い実話を知っていた。それで我々はこれらの泥棒について色々と考えを巡らせたのである。全ての登場人物たちはお互いを盗み合った。そのことは我々各自に向けられた本当の問題なのである。我々は何をおざなりにし、他人の人生を変えられるようなことを言わなかったのか?どうして我々は本質的なところを隠したのか?何故我々は耳を傾けようとしなったのか?この物語の中で唯一罪がないと言えるのは子どもである。そして彼女こそが一番不幸なのである。彼女は忍従するしか成す術を知らない。彼女が大人になるにつれてどうなっていくのだろうか?これらの事件が彼女の未来を劇的に決定することだろう。多分、いつの日にか彼女を映画の主人公にしてみたいと思っている。
出演:マリア・コシュチャウコフスカ(ゾフィア)/テレサ・マルチェフスカ(エルジュビェタ)
大学で倫理学の教鞭をとるゾフィアは学長から学術交流でアメリカからやってきたエルジュビェタを紹介される。ゾフィアの授業に参加したエルジュビェアタはある質問を投げかける。それはゾフィアの封印していた過去を呼び起こすものだった。
<あなたは隣人について、偽証してはならない>
これは正義と不義についての映画である。ゾフィアは自分の身に覚えてのないことで中傷を受けている。彼女の人生は後悔で彩られているのだ。それが彼女の過去のすべてだ。彼女にとって大切な自分の居場所でさえも少しずつ壊され、その上思い出を奪われてしまったのだ。40年後、エルジュビェダの来訪によって彼女は魂の救済を予感する。私は、ドストエフスキーの作品の中にも見いだせるこのつながり、つまり過ちから許しによって得られる魂の救済までの連鎖性は真実だと思っている。過ちは必要悪である。それは我々の上にもたらされる寛容さによって、我々を孤独の中から引きずりだしてくれるのである。
出演:ピョトル・マハリツァ(ロメク)/エヴァ・ブワシュチク(ハンカ)
性的不能に陥り、回復の見込みがないと知らされた外科医ロメク。自暴自棄になった彼を妻のハンカは「愛は心の中にあるもの。下半身じゃない」と慰める。しかし、彼女にはどうやら若い恋人がいるらしく、ロメクは疑念にかられていく。
<あなたは他人の妻を取ってはならない>
この作品には「電話に関する短いフィルム」というタイトルを付けることが出来たかもしれない。互いに顔を見せ合うことも、理解し合うことも必要としない完璧な道具。つい先程、レストランで綺麗な女と連れ添っている男を見た。彼はリュックサックから携帯電話のアンテナをはみ出させていた。私は彼を半時間ばかりも観察してみた。彼はキザっぽい格好をしていたが、なんだかとてもわざとらしい感じがした。彼はかかってくるはずの電話のことしか頭になかったのである。そしてついに電話は鳴った。その電話は彼を緊張させていたようだった。彼の心はちょうどこのロメクのようにここにあらずといった感じであったのだ。彼の無力さというのは未来の欠如ということと同義である。つまるところ彼は世界を現実と違った形で理解しているのだ。
出演:ズビグニェフ・ザマホスキ(アルトゥル)/イェジー・シュトゥル(イェジー)
父の死で久しぶりに会ったアルトゥルとイェジーの兄弟。疎遠だった父が遺した切手コレクションにとんでもない価値があることを知った2人は、その莫大な遺産に驚愕する。2人は父が最後まで手にできなかった希少なコレクションを手に入れるべく奔走する。
<あなたは隣人の家をむさぼってはならない>
すべての人たちが欲しいと思っているものについて語るのは、あまりにも単純すぎていたかもしれない。綺麗なアパート、格好いい車、素敵な洋服。そして権力でさえも。一枚の切手はコレクターたちがつけた言い値でしかない。それはコレクターたちの欲望の値段である。そんなわけでこの映画は異常なまでにエゴイスティックな情熱に没入する人間の話である。また私はこう言ったことの滑稽さを描くために、すべての人々が執着するもの、ある人にとっては家やお金またある人にとっては名声、こういったものを主人公たちが失っていく様子を描きたかったのである。切手にかかると彼等は実に滑稽である。しかし同時に幸せなこととも言える。全く困ったことだ。
『デカローグ』には、映画のすべてが詰まっている、
ポーランドの映画学校でそう教わった。
今回改めて全編見直してみて、考えを改めた。
この映画には、人生のすべてが詰まっている。
「十戒」とはいっても、ここには神も英雄もいない。
解決不能な状況に直面した普通の人間の苦しみと欲望があるだけ。
だからこれは私のことであり、あなたのことでもある。
見終えてからしばらく立ち上がれない。
人間とはいかに不完全であることか、その卑小さに徹底した眼差しを向けながら、それでもキェシロフスキは言う。生きなさいと、生きていて良いのだと。
今を生き抜くために、私はいつも彼の作品を見るのだ。
切なくいとおしい。ナチスによる破壊から蘇った美しい都市、ワルシャワに生まれた十篇の物語は、
ガラス窓と光の冷やかな感触とともに暖かく育ってゆく。
樹木や風、人の表情まで結晶に変える映像に『ふたりのベロニカ』の予感も走る。
キェシロフスキーのように、観る側の世界観、
人生観に正面から問いを突きつけて来るようなフィルムの場合、
人生の節目節目で観てみると、
まったく違うフィルムを観ているような気がしてくる。
わたしが映画を測るのではなく、
映画の方がわたしを測るのだ。
ここ20年の間で1本だけ好きな映画選ぶとすれば、それは間違いなく『デカローグ』である。
1本1本が素晴らしく、10本通して見ると一つの作品としてさらに素晴らしい。
私もいつかあのような方法で映画を撮りたい。
彼の作品はどれも好きだが、中でも『デカローグ』は特別だ。
偶然と必然の糸に紡がれた十の物語。キェシロフスキはあたかも人間の魂をレントゲンで撮影するかのようだ。
連続でなく各話一つずつ見てほしい。そして鑑賞後は、誰かと語らってほしい。
もしあなたがひとりなら、自分と語らってほしい。本作の主人公たちのように。
これは《10時間の人生体験》、『デカローグ』はそんな稀有な映画だ!
心を揺さぶる傑作だ。この映画の綿密さに驚嘆するだろう。
キェシロフスキの美しく、悲しく、澄んだ視線は、人生の闇と対峙する力と声を与えてくれる。
傑出した哲学的な遊び心と天才的なストーリーテリング!