12/21(金)
18:30開場/19:00開始/20:30終了
ジャン・ヴィゴ監督『アタラント号』公開記念 上映&トークイベント
「永遠のジャン・ヴィゴ!~伝説の天才映画作家をめぐって」
主催:アイ・ヴィー・シー
場所:アテネ・フランセ文化センター
(東京都千代田区神田駿河台2-11 アテネ・フランセ4階)
<登壇ゲスト>
中原昌也(ミュージシャン、作家)
小野正嗣(作家)
須藤健太郎(映画批評)
<上映作品>
ジャン・ヴィゴ初監督作品
『ニースについて』(1930/23分/サイレント音楽付)
入場料:1000円/当日券のみ
※チケットは18:00より会場窓口にて販売。18:30より整理番号順で入場。自由席
問い合わせ:アイ・ヴィー・シー 03-3403-5691(担当:森田/布施)
Vigoureux 力強く
Intelligent 知的で
Génial 天才的で
Onirique 夢のよう
4つの作品には、彼の名に刻まれた4つの文字が連想させるすべてがある。
小野正嗣(作家)
こんなみずみずしい作品群が1930年代に作られていたとは。
物語に白も黒もつけず、ただおおらかに「人間」と「反抗」とを祝福する描き方は、
今見ても全く色褪せない。
西川美和(映画監督/『ゆれる』『永い言い訳』)
18の頃日本を出て旅をした
その空気を思い出した。
生の猥雑さ、都市の魅惑、安定に欠ける男たち。
それらをすり抜け、ジュリエットは再び男の胸に戻る。
無邪気な愛の表現はあんまり尊くて
ハッピーエンドながら涙がこぼれた。
寺尾紗穂(音楽家、文筆家)
愛、情熱、衝動。純粋な映画の結晶で出来上がった88分。心躍る映画体験!
橋口亮輔(映画監督/『恋人たち』『ぐるりのこと。』)
映画の中にも生活がある。生活の中には突然生活を逃げ出すものがある。ヴィゴの全作品にはその瞬間のイメージが悪戯のように輝いている。ヴィゴのアナーキズムの底にユーモアがあるのはそれ故である。映画はスクリーンから逃げ去るもので出来ているのだ。
鈴木創士(フランス文学者、ミュージシャン)
自分がいかに汚れちまったか以前に、いかにムダに乱作し、ムダに発言し、ムダに生きたかと反省する。人に解釈されるより先にバイバイ!永遠のジャン・ヴィゴ万歳!!
中原昌也(ミュージシャン、作家)
命がけの映画だ。
アキ・カウリスマキ(映画監督/『希望のかなた』『過去のない男』)
ただただ、素晴らしい!
フランソワ・トリュフォー(映画監督/『大人は判ってくれない』『突然炎のごとく』)
私たちの映画観を揺るがす傑作。
ルイジ・コメンチーニ(映画監督/『ブーベの恋人』『天使の歌』)
映画史上、最も美しい作品の一つ。
ミシェル・ゴンドリー(映画監督/『エターナル・サンシャイン』『ムード・インディゴ うたかたの日々』)
まるで詩のようだ。
エミール・クストリッツァ(映画監督/『アンダーグラウンド』『オン・ザ・ミルキー・ロード』)
田舎町とル・アーヴル間を運行する艀船アタラント号。乗組員は船長のジャンとジュリエットの新婚カップル、変わり者の老水夫ジュールおやじと少年水夫、そしてかわいい猫たち。はじめは新婚生活にときめいていたジュリエットだったが、狭い船内の単調な生活に息が詰まってくる。アタラント号がパリへ到着するとジャンとジュリエットはダンスホールへ。そこへ行商人がやって来てジュリエットを口説き始める。田舎娘のジュリエットは大都会パリへの憧れを抑えきれず、夜にこっそりと船を降りてしまう。怒り心頭のジャンは彼女を置き去りにして出航してしまうが・・・。
ジャン・ヴィゴ、唯一の長編にして遺作。くめどもつきせぬロマンティシズム、澄みきった情緒。世界映画史に残るマスターピース。
フランス国立映画センター(CNC)の支援を受け、フィルム・ファンデーション(The Film Foundation)とシネマテーク・フランセーズとの共同により、ゴーモン社が修復した。
現像所(ラボ):ボローニャ復元映画祭(ボローニャ/パリ)
歴史・芸術監督:ベルナール・エイゼンシッツ
日本語字幕:寺尾次郎 ©1934 Gaumont
1905年4月26日、パリのアナキストが集まるアジトの屋根裏で生まれた。
シャルトル市の全寮制リセ・マルソーで中等教育を受けるが、その経験が『新学期 操行ゼロ』(33)を生み出すことになる。1925年、パリの名門ソルボンヌ大学の文学部に入学、社会学、心理学を専攻。その頃、肺結核の症状が進み、療養生活を送る。
その後、ヴィゴは写真家の助手をつとめながら、アヴァンギャルド映画やドキュメンタリー映画を鑑賞するシネクラブを組織。再び体調を崩した彼は、パリの病院で撮影監督ボリス・カウフマンと意気投合。一緒に制作した『ニースについて』(30)は、カウフマンが前年に異母兄ジガ・ヴェルトフと作った『カメラを持った男』(29)の強い影響を受けている。翌年の『競泳選手ジャン・タリス』(31)では、愛用のカメラをガラス箱に入れて水中撮影に成功。競走馬の馬主ジャック・ルイ=ヌネーズが出資、製作した『新学期 操行ゼロ』(33)は、「無政府主義的な反抗心を助長する、知事など公共の権威者および牧師など聖職者に対する攻撃」との理由で上映禁止になった。
ヌネーズは次回作『アタラント号』(34)にも資金を提供した。真冬の撮影が体調の悪化に拍車をかけ、ヴィゴはベッドから編集を指示して完成させた。試写の評判は惨憺たるもので、配給会社のゴーモンは「娯楽を求める大衆向けではない」と大幅に短縮し、題名も『過ぎ行く艀』と変えて公開した。ヴィゴは改変版を見ることなく、1934年10月5日に敗血症を併発して死去した。
1895年、スイスのジュネーヴ生まれ。初等教育を終えてパリに行き、ボクサー、運転手、街頭写真家、新聞売りなどさまざまな職業についた。アクロバット師としてカジノ座にデビュー、1920年から舞台役者となり、1925年より映画に進出。フランス映画の巨匠たちの作品に次々出演し、特異な風貌と声をもってフランス映画界を代表する名優になった。私生活では独身を貫き、猫を溺愛した。1975年没。
1904年、パリに生まれた。初等教育を終えると、1912年から舞台に立ち、1947年には自分の劇団を結成して演劇活動を続けた。『新学期 操行ゼロ』(33)で映画デビュー、『アタラント号』(34)以後はバイプレイヤーとして活躍し、トリュフォー映画の常連となった。1987年まで舞台活動と映画出演をつづけた。『アタラント号』の復元版(90)制作に助言している。1994年没。
1908年、中部ドイツ生まれ。ウーファ撮影所の演劇学校で学んだ。プロデューサーのエーリッヒ・ポマーの目にとまり、『伯林の処女』(28)でデビュー、1930年、ハリウッドに渡り、アメリカ映画の「ドイツ語版」に出演。1933年にヨーロッパへ戻るが、ドイツはナチ政権下だったため、フランス映画に出演した。代表作は『アタラント号』、ジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』(37)など。1971年没。
監督第3作。ヴィゴが描く小さな革命。猛烈なアナーキズムと自由で詩情に満ちた映像表現。そのスキャンダラスな内容から12年近く公開禁止となった。
日本語字幕:寺尾次郎 ©1934 Gaumont
監督第2作。1931年、400メートル自由形で世界新記録を樹立した水泳チャンピオン、ジャン・タリスの強さの秘訣を分析するスポーツ・ドキュメンタリー。
日本語字幕:寺尾次郎 ©1934 Gaumont
ヴィゴの監督第1作となる短編作品。南仏ニースの街並み、バカンスに興じる富裕層の生態と庶民とを交差させ、エネルギッシュに活写する映像スケッチ。
日本語字幕:寺尾次郎 ©1934 Gaumont
猫が群生し、手回し蓄音機が巨大な拡声器で画面を占領する閉ざされた船底の混沌ぶりのつきぬ魅力はどうか。
怪優ミシェル・シモンは、そこでいったい何をしているのか…?
蓮實重彦(映画評論家)