堀潤之/映画研究者

たのしい知識 | 1966
1967年末から68年初頭にかけて、パリ郊外ジョワンヴィルの撮影所で、ジャン=ピエール・レオとジュリエット・ベルトを起用してゴダール初のテレビ作品として撮られ(ただし完成後に放映拒否される)、五月革命後にようやく無数の画像の挿入も含めた編集作業が行われた『たのしい知識』には、当然のことながら、「五月」の痕跡がいたるところに散見される。時おり差し挟まれる街路の写真、画像に書き付けられたり、録音として提示されるスローガン、デモの喧噪、ダニエル・コーン=ベンディットら革命の立役者たちの演説の断片、ゴダール自身のささやき声による情勢分析などがそれにあたる。だが、『ありきたりの映画』(68)が五月革命直後の空気をとらえた稀有なドキュメントになっていたのとは違って、『たのしい知識』の魅力はそうした時事的な側面よりもむしろ、より根源的な水準における映像と音、そしてとりわけ映像と言葉の関係の分析の手つきにこそある。
真っ黒な背景のなにもない空間で、七夜にわたって議論を交わす2人の男女は、雇い主の暴言を記録するための小型録音機を労働者たちに配布したため、シトロエン工場をクビになったというパトリシア・ルムンバ(コンゴの革命家パトリス・ルムンバへの目配せ)と、理学部構内に押し入ろうとした際に落下傘部隊の発砲を受けたが、セーターの下にしのばせておいた『カイエ・デュ・シネマ』誌の最新号のおかげで軽傷で済んだというエミール・ルソー(フランス革命に大きな影響を与えた思想家ルソーの子孫という設定)だ。しかし、こうした具体的な活動家としての人物設定はさほど重要ではない。むしろ、彼らは「ゼロからの再出発」を目指して「ゼロに戻る」ために、より抽象的な次元で、「映像と音を解体する」ことをもくろむ。そのために彼らが第一夜の最後に定める3年間の方針──完遂されることはないようにみえるが──は、1年目に映像の収集と音の記録を行い、2年目にそれらを批判、分解、還元、置換、再構成し、3年目に音と映像の2、3のモデルを作るというものだ。

実際、スタジオでの2人の対話のシーンに合わせて、あるいはそれに差し挟まれるかたちで、膨大な量の画像が提示され、吟味される──広告画像、政治的人物や街路の写真、ポスター、漫画、理論書の表紙、雑誌の切り抜き、グラビア写真、図表、等々。映像の氾濫した現代社会に向き合うためには(67年末に出版されたばかりのギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』の表紙も登場する)、まずそうした映像を批判的に考察しなければならないというわけだ。提示される映像にはたいてい、すぐさま判別できるような明確な脈絡はなく、観客はたえず、2人の交わす議論と映像との、そしてまた映像どうしの関係性を超高速で想像することを余儀なくされる。ここでのゴダールの独創は、ほとんどすべての画像に、みずから手書きで文字を書き加えたことにある。『カラビニエ』(63)で2人の兵士が戦利品として大量の絵葉書を持ち帰るというシーンでも、膨大な量の既存の画像を提示することで、映像の果てしもない増殖という事態がアイロニカルにとらえられていたが、いまや、画像の上に文字を書き付けるというただそれだけの操作が加わることによって、関係性の複雑さが大幅に増大する。理念的に言えば、画像に文字を重ねることによって、両者の間に一種の「モンタージュ」が行われて、映像は単なる映像であることをやめ、(パトリシアの台詞を転用するなら)「映像の矛盾」をあらわにしうるようになるからだ。

ゴダールはやがて、1973年頃にコピー機とヴィデオ機材一式という2つの新たなテクノロジーを手中に収める。コピー機を活用することによって、ゴダールはとりわけ企画段階で、画像と文字を自由に切り貼りし、一種のコラージュ作品とも言いうる「シナリオ」を作成できるようになった。ヴィデオによっては、映像と映像、映像と文字を、映画よりもずっと多彩なやり方で掛け合わせることができるようになり、それがおよそ四半世紀後に『映画史』(1988–98)で頂点に至ることは周知の通りである。しかし、そうした洗練された「モンタージュ」の手法は、あたりに流通している画像にフェルトペンで文字を書き加えるという単純なやり方のうちにすでに胚胎していたとも言えるだろう。ちなみに『たのしい知識』と相前後して、五月革命の渦中で作られた何本かの「フィルム・トラクト」でも、まったく同じ手法がふんだんに用いられている。
『たのしい知識』に出てくる子供向けの挿絵入り辞典のエピソードは、この作品での画像と文字の「モンタージュ」が目指すところを裏側から照らし出している。エミールは、収録語と例文がブルジョワ的イデオロギーに偏向していることに憤る。Fの項には「家族(famille)」や「チーズ(fromage)」はあっても「ファシズム」という見出し語はない。「お腹が空く(faim)」という語の例文「ぼくは食卓につくとお腹が空く」は、食卓など持っていない第三世界の子供たちを無視している、と。ロラン・バルトが『神話作用』で披露した子供の玩具の鮮やかなイデオロギー的分析にも通じるこうした視点が批判しているのは、ブルジョワ的なイデオロギーそれ自体のみならず、言葉と映像が一対一対応するという安易な想定でもあるだろう。両者の関係はもっと複雑である。映像は言葉の図解であってはならないし、そもそも映像は容易に言葉に還元できるものではない。ゴダールは画像に文字を書き込むことで、映像の(とりわけ広告画像の)一見平明な意味作用を脱臼させ、シチュアシオニスム的な意味で「転用」する。その結果、何の変哲もないようにみえた画像は、たちまち「判じ絵」めいたものへと変容するだろう。そのことは、たとえば、橋の架かった川縁の風景の中で、巨大な刃物を十数人の男たちが直立させようとする広告画像に、「革命(Révolution)」と書き込まれているという、第一夜に出てくる事例ひとつ取っても察せられるだろう。見出し語のように、大文字のRがとりわけ大きく書かれていることからも、子供向けの挿絵入り辞典を「脱構築」することが目指されているように思えてくる。

映像に言葉の楔を打ち込むことで、映像を硬直した意味作用から解き放ち、その思いも寄らぬ相貌を引き出すこと──『たのしい知識』というタイトルが示唆するように、この作業は愉快で、快活なものだ。そもそも、ゴダールが書き込む言葉は、真剣に考え抜かれたものというよりは、ほとんど自由連想によって直感的に浮かんだものに違いあるまい。なにしろ、「文化(culture)」とあれば「ケツ(cul)」を、「ESSO」とあれば「SS(親衛隊)」をつねに見て取ってしまうのがゴダールなのだ(こうした何気ない言葉遊びに一抹の真実が宿っているようにみえるところが、ゴダールの恐ろしいところだ)。したがって、私たち観客も、本作の中で単語の連想ゲームに興じる少年のように、ゴダールの投げかける判じ絵を自由連想によって気楽に読み解くのに如くはない。そうすれば、「革命」という言葉に対して少年が思いがけず「10月」と連想する、あるいはそれが平凡にすぎるというなら「共産主義」に対して「魔術師」と連想するときに生じるのに似た、予期せぬ閃光が煌めくような直感的な洞察の瞬間が訪れることだろう。ゴダール的教育学は、本来、才気煥発なユーモアに充ちたものなのである。
(2013年4月26日発売DVD封入ブックレットより転載)
©1969 Gaumont – Bavaria Atelier Gesellschaft