映画作家のアトリエ──エッセイ映画としての『JLG/自画像』

堀潤之/映画研究者

JLG/自画像 | 1995

 「自画像。自叙伝ではなく」──映画も末尾付近にさしかかり、マッチの灯だけを光源とする緊張感のあるパッセージが終わって、より軽妙な雰囲気をもつテニスのシーンに場面が切り替わるちょうどそのとき、ゴダールがオフの声でこう口にする。1993年12月に撮られたために「12月の自画像」というサブタイトルが付されたこの映画は、なるほど「自叙伝」とは言いがたい。映画の冒頭には、陰鬱な面持ちをした子供の頃のゴダールの写真が登場し──どうやらこの引き延ばされた写真は、間違いなく彼の子供時代のものらしい──、人生をその起点から語ろうとする自叙伝のモードがいかにも作動しそうな気配を漂わせている。だが、大写しにされたその写真に重ねて、この少年の心はいったいどこにあり、どんな「闇の力」が彼の心を占めていたのかと嗄れ声で問いかけがなされているにしても(ちなみに、この問いかけ自体、コンラッドの『闇の奥』の一節に基づくものだ)、ゴダールは人生を振り返ってそれに一定の物語性を与えて叙述するという自叙伝のフォーマットでそれに答えようとしているわけではいささかもない。そもそも、この子供時代の写真を別にすれば、本作ではゴダールの伝記的な過去のエピソードはまったくと言っていいほど出てこない。映画を締め括る言葉がジャン゠ポール・サルトルの自伝的小説『言葉』からの引用を反転させたものであるように、ゴダールは、自分の子供時代の要素を細大漏らさず数え上げ、それを再構成しようとするサルトルの身振りとは逆に、かつての自分の「やや打ちのめされた様子」を安易に現在の自分に回収しようとはしないのである。

 では、この作品は、ゴダールが言うように「自画像」なのだろうか。たしかに、冒頭、薄暗い室内で、子供時代の自分の写真が窓の手前に置かれ、それにゴダールらしき人物の影が対峙するという構図は、あたかも画家が自画像を眺めている姿のようでもある。中盤でマネの《ナナ》(1877)を皮切りに、机の上に散乱した画集の切り抜きが横移動でとらえられる箇所では、エゴン・シーレが1910年に描いた裸の自画像の複製も思わせぶりに登場する。また、先にも触れたマッチの灯を光源とするシークェンスでは、画面手前の闇の中でゴダールが葉巻に火を付けるさまが、ヴィデオカメラを通じて奥のモニターにリアルタイムで映し出されており、映像装置を介した入れ子構造によって「自画像」という概念のアップデートが図られているかのようでさえある。もとより、ゴダール自身は「映画における自画像」という「実現不可能なジャンル」を、「私は映画においてどこまで行くことができるのか、そして映画はどこまで私を受け入れることができるのか」を探究することだとみなしているのだから(「ゴダール全評論・全発言Ⅲ」奥村昭夫訳、筑摩書房、2004年、474頁)、みずからを被写体として、日常生活の中で、映画にまつわる思索や創作に耽っている姿を映し出しているこの映画全体が、語の特殊な意味での「自画像」として構想されていることは間違いあるまい。

 しかし、絵画を引き合いに出すのであれば、『JLG/自画像』はむしろ、17世紀のオランダ絵画において特に隆盛した「画家のアトリエ」を主題とするサブジャンルに近いかもしれない。レンブラントやフェルメールをはじめとする画家たちが、アトリエで絵画制作に従事する自分たちの姿を描いて、絵画によって絵画を考察しようとしたのと同様、ここでのゴダールもスイスのレマン湖畔にある自宅兼アトリエとその周辺で活動するみずからの姿を主たる被写体として、映画作りの何たるかを自己言及的に思考する。ゴダールはかつて『パート2』(1975)の導入部でも、自分のアトリエを作品の舞台に据えていた。そのときは大量のヴィデオ機材やモニターに囲まれていた映画作家は、いまや機材ではなく手帖や書物に親しんでいる。唸り声をあげて明滅する機材に代わって、『JLG/自画像』のアトリエでは、机に向かって何やら文章や図形を書き付けたり、書物の一節を読み上げたりするゴダールの姿や、書物やヴィデオが整然と収められた棚──赤いランプスタンドが置かれた書棚の横移動は、本作で最も印象的なショットの一つだ──が中心的な形象となる。しかも、雪に覆われた小径や、レマン湖の砂州を歩き回りながら思索に耽るゴダールは、室内だけでなく、戸外の環境をも自らのアトリエへと転じている。さらに、「アトリエ」のこうした空間的拡張に呼応するかのように、「画家のアトリエ」というトポスも、単なる作品制作の場から、自分が身を捧げる芸術についてのより広範な思索の場となっている。

 このように空間的・概念的に拡張された「画家のアトリエ」でゴダールが思索に耽る姿は、書斎に籠もって書物や映画のタイトルを口にしながらタイプライターを打つ『映画史』(1988-98)のゴダールをただちに思い起こさせる。しかし、『映画史』では8つの章のそれぞれに曲がりなりにもテーマ設定があり、ゴダールなりの叙述の流れもあったのに対して、きわめて物語性が稀薄な『JLG/自画像』では、映画作家の意識に去来する想念や、記憶から不意に甦る文章や映画の断片がひたすらアトランダムに展開していく。いわゆる「エッセイ映画」なるものが一般的に、客観性や体系性や全体性に抗いつつ、作家の一人称的な思考の流れを自由自在に繰り広げていくものであるとすれば、本作はゴダールの全作品のなかでもすぐれてエッセイ映画的な試みであると言いうるだろう。

 このアトリエには、過去の映画作品も召喚される。そのとき特徴的なのは、『映画史』とは違って、引用される数々の映画が、原則としてサウンドトラックだけで引用されていることだろう。ここでは、『中国女』(1967)が小さなモニターに映されているといったわずかな例外を別にして、ロジェ・レーナルトの『最後の休暇』(1948)も、ロッセリーニの『戦火のかなた』(1946)も、ジャック・ロジエの『アデュー・フィリピーヌ』(1962)も、ボリス・バルネットの『青い青い海』(1936)も、ニコラス・レイの『大砂塵』(1954)も、ブレッソンの『田舎司祭の日記』(1951)も、いっさい映像が登場せず、台詞とその背景音だけが聞こえてくるのだ。どこからともなく音だけが聞こえてくるという、ミシェル・シオンの用語を借りれば「アクースマティック」な状況を作り出すことで、各作品からの引用はこの映画のトーンにふさわしい亡霊的な雰囲気をまとう。こうして観客が擬似的な盲目状態に置かれることは、映画の終盤で、盲目の編集助手なる女性が登場することと無関係ではないだろう。そのシーンでは、ディドロの『盲人書簡』に基づいて、ゴダールが女性に、正六面体を思い浮かべてそれを6つに分割するように言う。そして、「あなたはそれをどこに見るのか?」と尋ねられた編集助手が「あなたと同じように、わたしの頭の中に」と答えると、数秒間の黒画面がそれに続く。その間、観客の誰もが6つの角錐に分かたれた正六面体を想像し、それをこの驚くべき黒画面にいわば投影する。引用された映画の音だけが響くときには、音声に対応するイメージを誰もがこれほど明瞭に想像することはできず、記憶の底からおぼろげに浮かび上がってくる不可視のイメージが、まさしく亡霊的に、眼前にたゆたうことになる。

 他者の言葉や映像の断片が呼び起こされ、それと一体化した映画作家の思念が開陳されるこのアトリエとその周辺は、文字通りの他者との邂逅がなされる場でもある。なぜか彼のことを「ムッシュー・ジャン」と呼ぶ家政婦、突然来訪し、彼のことを「愚かなJLG」呼ばわりし、アトリエを検分する映画センターの査察官なる一団、『決別』(1993)の編集作業を手伝う盲目の女性、ともにテニスに興じる若い友人たち、小径でオウィディウスをラテン語で朗唱する老婆といった虚構の登場人物たちと、ゴダール──というよりもむしろ、「JLG」というイニシャルに還元された虚構の登場人物──は、真面目ともお巫山戯ともつかないやり取りを演じてみせる。一見したところ孤独な散歩者のようでもあるこの人物は、複数の他者と相まみえつつ、そのたびごとに少しずつ異なる側面を浮かび上がらせることになるだろう。

 本作の謎めいた記号のごとき原題『JLG/JLG』が意味するのは、まさしくそのことではあるまいか。タイトルが『ゴダールによるゴダール』でも『JLGによるJLG』でもないことを強調するゴダールは、自分自身を被写体としてセルフ・ドキュメンタリーを撮ろうとしているのでも、虚構化された人物としての「JLG」が単におのれと対峙するさまを演出しようとしているのでもない。原題における「JLG」の並置はむしろ、少しずつ異なる複数の「JLG」が合わせ鏡のように無数に連なっているさまを暗示しているのである。自分の唯一にして真なる姿を呈示しようとするのではなく、みずからを虚構化し、さまざまな他者との関わりを演じることで複数化し、つまるところ、煙に巻くこと──この映画作家のアトリエは、そのような自己韜晦が上演される舞台空間でもある。

(2019年10月25日発売ブルーレイ封入リーフレットより転載)
 © 1995 Gaumont

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