堀潤之/映画研究者

フォーエヴァー・モーツアルト | 1996
『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996)はもともと、「サラエヴォで戯れに恋はすまじ」と題された企画と、映画撮影そのものをテーマにした別の企画が合体して出来上がったものだという。実際、この映画で展開される物語の主要部分は、ミュッセの戯曲『戯れに恋はすまじ』を上演するために戦火のサラエヴォに向かう哲学教師カミーユたちのエピソードに、彼女の父親でもある初老の映画監督ヴィッキー・ヴィタリスが新作『宿命のボレロ』を撮影するエピソードを接ぎ木したものとなっている。この二つのエピソードは、どのように結びついているのだろうか。物語展開を素直にとらえれば、父親の映画監督がカミーユらの旅路に途中まで加わっているのだから、後半で展開される映画製作には、志半ばにして挫折を余儀なくされた娘たちの上演企画をまったく別のかたちで実現するという意味合いも込められているだろう。だが、両者には、いくつかのより目立たない繋がりが仕掛けられているように思われる。
そのうち最も見て取りやすいのは、ヴィッキーの製作する映画の二人の主演俳優が、サラエヴォへの旅の途上で息絶えたカミーユとその従兄弟ジェロームの「生まれ変わり」であるとみなせることだ。カミーユとジェロームは、セルビアの民兵らしき武装集団に捕らえられ、収容されている廃屋の前でみずから墓穴を掘らされ、突然勃発した銃撃戦の混乱のさなかにどうやら処刑されてしまう(いったんはレイプされかけるアラブ系のメイドのジャミラだけが、友好的な民兵の一人の手引きによって逃げ延びる)。その後、映画製作のエピソードにおいて、安上がりな俳優を起用せよという製作陣の圧力の下、助監督らスタッフが死体置き場のような廃屋に赴いて、「まだ息のある」女と男を捜し出し、彼らを砂浜の撮影現場に担いでいくのだが、その際に私たちは、カミーユとジェロームらしき死体がうつぶせに倒れているのをたしかに目撃する。ここでは、「サラエヴォ」のエピソードと、物語展開のうえでは同地で行われているはずのない撮影現場でのエピソードが、不意に短絡しているのだ。

「サラエヴォ」で命を落とした二人の男女が象徴的に「蘇生」し、映画作品のうちに居場所を得るという物語展開の背後には、現実の悲劇が芸術のうちに昇華され、それによって多少なりとも贖われるという発想がある───ひょっとしたら、エピローグとして置かれたモーツアルトの演奏会は、天上的な芸術の聖性のメタファーなのかもしれない。ゴダールのほぼ同時期の大作『映画史』(1988-98)においては、ホロコーストの悲劇を映画的イマージュによって救済するというモチーフが通奏低音になっており、その文脈で1B「ただ一つの歴史」には「イマージュは復活の時に到来するだろう」という謎めいた警句も登場していた。『フォーエヴァー・モーツアルト』はこの警句を、『映画史』のような既存の映画の断片のコラージュによってではなく、物語を語ることを通じて別様に展開しているかのようだ。この点にこそ、『映画史』と本作の最も深い繋がりがある。
ところで、「死体置き場」と言えば、すぐさまナチスの強制収容所のそれを思い起こされる。本作のゴダールが、現代ヨーロッパの悲劇としてのユーゴ紛争に真摯な関心を寄せていることは疑いなく、たしかに旅の途中でも「プリイェドル」という、近隣に複数の強制収容所を擁するボスニア・ヘルツェゴヴィナの象徴的な地名が、雪の地面に落ちている標識によって示されている。しかし、やがてカミーユら一行が連行される「収容所」は、たとえ外観にそれを思わせるところがほとんどないにしても、ナチスの強制収容所を透かし状に織り込んだトポスとして造形されているのではないか。

たとえば、この「収容所」には赤十字が視察に訪れ、実質的に何も出来ないまま退散する。そのことは、ゴダールの両親が第二次世界大戦時のスイスで赤十字に協力していたという伝記的事実を介して、ナチスの強制収容所が赤十字の視察をやり過ごしていたことを思い起こさせる。また、セルビア人の女性士官ヤスナが絶え間なく写真を撮っているのは、「強制収容所はきっと、ドイツ人によって詳細に撮影されたはずだ」(『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年、628頁)というゴダールの確信を反映しているはずだ。さらに、「収容所」のシークェンス終盤では、1990年代以降のゴダールにあっては珍しいことに、3台の戦車さえ登場し、銃器と火薬を多用したそれなりに派手な立ち回りが展開される。これは「強制収容所についての映画」を「大スペクタクルの超大作としてつくりたい」(『ゴダール 映画史(全)』奥村昭夫訳、ちくま学芸文庫、2012年、664頁)というゴダール積年の夢想を部分的に実現したものであるかに思われる。
ここで、「サラエヴォ」と「映画製作」の二つのエピソードの新たな繋がりが見えてくる。ゴダールがたびたび、撮影現場で演出家が揮う権力が他に見出せるとしたら、それは強制収容所においてしかないと述べていることを思い出そう(『ゴダール 映画史(全)』、558-9頁)。つまり、「収容所」のシークェンスで死体を埋める溝を掘らされ、銃を突き付けられ尻を露出させられるカミーユたちの姿は、理不尽な絶対的権力の行使という一点で、ヴィッキーから数百回にわたってひたすら「ウイ」の一語を発することを命じられ、延々と駄目出しを食らい続ける女優の姿と重なり合うのである。

こうした脈絡は、終盤に『宿命のボレロ』が上映される映画館の入り口のシーンで、不意に3枚のスチル写真が挿入されるときにも示唆される。とりわけ注目すべきは、解放直後のベルゲン=ベルゼン収容所で撮られた、死体の散乱する道を歩く少年の有名な写真(サイレント映画の女優とコラージュされている)[※図1]に続く、2枚の画像のモンタージュである。そこでは、ダッハウ収容所の死体置き場で口を大きく開けたまま息絶えたと思われる被収容者のクロースアップ(これは映画監督ジョージ・スティーヴンスが解放直後に撮ったフッテージであり、『映画史』の1A「すべての歴史」でも、同じくスティーヴンスの監督作『陽のあたる場所』のエリザベス・テイラーと組み合わせて使われている)[※図2]が、ヴィッキーの映画に主演する女優の浮かべる苦悶の表情[※図3]───地面に横たわる彼女は、眉間に皴を寄せ、目を閉じ、口は半開きである───と組み合わされている。サラエヴォへの途上、収容所で処刑されたカミーユの生まれ変わりとして死体置き場から拾われたこの女優は、苛酷な映画製作の体験を経て、再び死体置き場の無惨な死体と等置されるに至っているのだ。
本作は、ヴィッキーが引用するゴイティソーロ『サラエヴォ・ノート』の一節が端的に言い表しているように、ユーゴ紛争を1930年代の「反復」として捉える視点を強調する。映画の冒頭には、アンドレ・マルローが「国際旅団」の一員として反ファシズムの立場でスペイン内戦に馳せ参じた体験をもとに書いた小説『希望(L’Espoir)』(1937)の演劇版であるらしい『希求(L’Espérance)』のオーディションの挿話が置かれ、「国際旅団」をひねった「国際盗賊団」なる多国籍のならず者集団が収容所を運営している。しかし、こうした目配せが敢えて言えば「囮」であり、本作の歴史的想像力の根底を貫くのが実のところ「収容所」のモチーフにほかならないことに留意すべきだろう。

(2020年7月31日発売ブルーレイ封入リーフレットより転載)
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