三浦哲哉(映画批評・研究/青山学院大学教授)

ラルジャン | 1983
ロベール・ブレッソンの13番目の長篇である。これが最後の作品となった。
本作はブレッソンのキャリアの集大成と言える側面を持つ。これまでのキャリアで描いてきた様々な主題──監獄(『罪の天使たち』[43])、孤独(『田舎司祭の日記』[51])、秘密工作(『抵抗』[56])、犯罪(『スリ』[59])、無垢さ(『バルタザールどこへ行く』[66])、罠(『少女ムシェット』[67])、などがはっきりと回帰している。とりわけ、孤独な主人公が監獄での絶望を経て、彷徨の末に得難い出会いを持ち、微妙なかたちではあるが、それでもある種の宗教的な「転回」を経験するという点で、前期の『抵抗』や『スリ』の筋立てを彷彿とさせる。
原作はロシアの文豪トルストイが1911年に発表した『にせ利札』。少年が用いた偽札が発端となって、悪事が次々に別の悪事へとつながってゆき、やがて街中に悪が蔓延するプロセスが前半部で描かれる。物語のちょうど折り返し地点というべき場面で、一人の老婦人が罪人を許して死ぬ。すると、今度は善の連鎖が始まり、後半部では逆に街が善で満たされてゆく。
ブレッソンはトルストイのこの小説の真ん中までの部分、老婦人の死をきっかけに犯罪者が態度を変化させるまでを用いた。どうして後半は描かれなかったのだろう。善が連鎖する幸福な部分をブレッソンがもし描くならどんなだったか見てみたい気もするが、やはり、この作家が惹かれるのは秘密と孤独を抱えた登場人物たちの劇に限られているのだろうか。あるいは、『ラルジャン』の同時代に、善の連鎖などありえないと考えたのだろうか。ブレッソンはこの点で興味深いことを述べている。殺人鬼と化したイヴォンにはたしかに「転回」が起きたが、それはすぐに通り過ぎてゆき、群衆が見つめることになるのはその場に残された「空虚」だけである、と。善がありうるのだとして、それは純粋な萌しとして、誰もが目でみて確認できるようなものではない何かとして仄めかすことしかできないとブレッソンは言うのだ。期せずしてキャリアを締めくくることになったこの最後のショットに映されていたものが、善の通り過ぎた後の「空虚」であることは示唆的である。

本作はブレッソンの集大成であると述べたが、とはいえ、そう言うだけでは片手落ちである。本作が驚異的なのは、むしろ、その造型における若々しさであり、未踏の領域へ力強く歩を進めている点であろう。
撮影の時点でブレッソンは80歳を超えていたが、共に作業するスタッフたちをその若さによって驚かせた。撮影監督のエマニュエル・マシュエルはこう言う。「最初のラッシュ映像をムッシュ・ブレッソンと見たとき、自分が傑作に参加していることを確信しました。これは青春映画であり、撮影時の彼の様子そのままに若々しい」。編集者のジャン=フランソワ・ノーダンもこう証言する。「びっくりしたのは、ムッシュ・ブレッソンの若さ、肝の据わり方でした」。また、研究者のジャン・セモルエは本作について次のように言う。「『ラルジャン』の映画的快楽は、『スリ』よりもおそらく強烈である。この快楽は、登場人物が抱く感情とは別で、映画が幸福のなかで創造されているということを、観客は感じ取る」。
まさにその通りである。『ラルジャン』は、以前ならば撮られることがなかったと思われる大胆な新境地を、いくつもの場面で示しているように思われる。たとえば、銀髪の老婦人がその父親からぴしゃりと平手打ちをされるまさにその瞬間、熱いコーヒーで満たされたカフェオレボウルを支える彼女の両手のクロースアップへとショットが切り替る、あの大胆なシークエンスもその一つであるだろう。ものの十数秒の持続にすぎないが、観客の全存在を震撼させずにいない、あまりに強烈な画面と音響の連鎖である。一体、どうすればこうなるのか。
また、本作中最も驚異的な場面の一つだと私は思うのだが、イヴォンが刑務所で自殺未遂をするシークエンスの構成も凄まじい。刑務所の夜。コンクリートの床を機械的に何度もこする音が不気味に響き渡る。看守が見にやって来る。寝転がって床をこすっていたイヴォンは「いま何時だ?」と聞く。「ちょっと待て」と言い残した看守は、医者を連れて戻る。イヴォンに白い鎮静剤を手渡す。刑務所生活の絶望で頭がおかしくなったのだろうか、と誰もが思う。イヴォンが鎮静剤を口に含むのを確認して医者は去る。カメラはここでイヴォンにぐっと接近し、飲み込んだはずの鎮静剤を彼が口から取り出し、次に、何十もの錠剤が隠された包み紙にその数錠をつけ加える光景を捉える。場面が替わるのとほぼ同時に、救急車のサイレン音が響く。このとき、最初の不気味な床をこする音響が何を意味していたかがはじめてわかる。彼は狂気を装って、幾晩も幾晩も同じ動作を繰り返しつづけては、自殺に足ると思われる分量の鎮静剤を集めていたのであり、つまりイヴォンにとってこの音は自死への漸近を意味するのだった。これほど深い絶望が、これほど即物的に表現されたためしがあっただろうか。
ある出来事を、一度「断片」にバラし、まあたらしい仕方で再構成すること。これをブレッソンは「断片化」と呼んで、自分の映画制作の方針としてきた。そのことによって、映画は、普段見慣れているはずの事物と観客を新しく出会い直させてくれるというのだ。ブレッソンは、この「断片化」が『ラルジャン』でさらに自由になったと述べている。決まりきったつなぎ方に捕らわれることがより少なくなり、より即興的で、自分の感覚に頼る度合いが大きくなったのだと。とりわけ、構成における「音響」の優位がますます強まったのだとブレッソンは言う。先述した刑務所の自殺未遂の場面はまさに不気味な音の響きから始まり、それが基調となるのだった。あるいは、パリの街中のカフェの場面なども典型であるだろう。その全体が一挙に示されることはなく、通りを行き交う足だけがまず見せられ、次に、石畳を踏む靴の音、通り過ぎるバイクのエンジン音が、間歇的に、鋭く、鳴り響く。観客が、だんだんと、諸断片からまとまりを作り上げていくようにブレッソンは加減する。そこに目と耳の快楽が生まれる。イヴォンが独房に入れられるきっかけになった暴行未遂事件は、どう描かれていただろう。一旦振り上げた金属製の杓子をイヴォンが投げ捨てると、その杓子は床をすべっていく。その音響が唐突に強調され、映像もまたこの杓子の滑る運動へと視野を限定する。その効果はめざましい。切り裂かれるように、私たちの眠っていた感覚が呼び覚まされ、出来事が立ち上がりつつあるプロセスの渦中に、一挙に投げ込まれるかのようだ。

ブレッソンは20代、画家として活動していた。だが、極度の集中によって健康を害したため、絵筆を持つことをやめたのだという。同じく若い頃、他の芸術家仲間と同様、動く映像に魅せられて映画館に足繁く通っていたというブレッソンは(後年は、映画が演劇の模倣をするのに耐え難くなってほとんど見なくなったそうだ)、絵画ではなく映画の道を歩むようになる。彼は映画を、絵画芸術の後継者であると考えていた。曰く、絵画の進歩はある意味においてセザンヌで終わったが、絵画が持ち得なかったテープレコーダーというもう一つの手段とともに、映画は絵画の先の領域へと進むのである。「映画は終わったと言う者もいるが、映画に手付かずのまま残された領域は膨大だ。私たちは何もまだ成し遂げてはいない」。
『ラルジャン』の後もブレッソンは新作の企画を持っていた。1960年代からの宿願だった『創世記』映画化案である。残されたインタビューによると、ブレッソンは動物たちが発する音響に焦点を置いてこの作品を構想していたようだ。「動物たちの立てる鳴き声や物音を想像してみなさい。天地創世のときと、それから、洪水のときの方舟の中の動物たちの声を。何というコンサート、何というエモーション、しかも何という沈黙が作られることだろう!」。

参考文献:
Philippe Arnaud, Robert Bresson, Edition de Cahiers du Cinéma, 1986.
Robert Bresson, Bresson par Bresson : Entretiens(1943-1983), Flammarion, 2013.
Michel Chiment, “«Je ne cherche pas une description mais une visiondes choses» Entertien avec Robert Bresson autour de L’Argent”, Positif, n° 430, décembre 1996.
© 1983 Marion’s Films