競泳選手ジャン・タリス|作品解説

遠山純生(映画評論家)

 フランスの競泳選手ジャン・シャルル・エミール・タリス(1909年~1977年)を主題にした短編記録映画。タリスは1928年の夏季オリンピック(アムステルダム)にて男子800メートル自由形リレーおよび男子1500メートル自由形で予選落ちした後、1932年夏季オリンピック(ロサンジェルス)にて男子400メートル自由形で銀メダルを獲得(金メダルを獲得したアメリカ人バスター・クラブに0.1秒の遅れをとった)した。生涯で7つの世界記録と49におよぶ国内記録を作り、34におよぶ国内選手権を手にしている。没後の1984年には国際水泳殿堂入りした。

 本作の企画は──映画作家・理論家ジェルメーヌ・デュラックおよびレオン・ムーシナックの助力を介して──ゴーモンからヴィゴに委託されたものであった。「生きている新聞(Journal vivant)」との総タイトルがつけられた短編映画シリーズの一本である。著名な運動選手たちを巡るスポーツ短編記録映画シリーズにすることに決めたのは、製作担当のコンスタンタン・モルスコイだった。ヴィゴは左派の画家・デザイナーであるフランシス・ジュールダン(のちに『アタラント号』の美術を手がけることになる)を介して知り合ったアリ・サドゥールを助手として起用する。アリは、共産主義活動家兼ジャーナリストのジャック・サドゥール(1881年~1956年)の息子である。

 そのうえで、ヴィゴが自作の主題として選んだのが、前述のジャン・タリスだった。ヴィゴはタリスと何度か会合を重ね、その間に競泳選手は水泳について何も知らない若手監督にこのスポーツの何たるかを説明しなければならなかった。その後ヴィゴは梗概(タリスが披露するさまざまな水泳のスタイルに、彼の経歴および功績を絡める、というもの)をまとめた。次いでスイミングプールでタリスと会ったヴィゴは、前者が泳ぐ様子を観察したうえで、二日間かけて全56ショットで構成される撮影用台本を書き上げた。撮影の大半は、パリにあるフランス自動車クラブのスイミングプールでおこなわれている。同プールには、外から水中を見ることができる一種の“舷窓”が設置されており、その窓を通して水中撮影をすることができたからである。

 結局、当初の構想からはずれて、完成作はタリス本人のことや水泳そのものにかんしてはほとんど語っていない。ヴィゴはむしろ、この水泳選手のプロポーションと水中を自在に泳ぎ回る妙技に惹かれていた。実際、随所にユーモアを交えつつここで主に示されるのは、タリスがとりわけクロールや背泳ぎや平泳ぎや水中ターンを披露する画と、そこに重なる彼自身が水泳法を講義する声の組み合わせである。このとき映画は、フィルムの逆回転、静止画、スローモーションを活用しつつ、タリスの動きを分析的に観察する。最後には──やはりフィルムの逆回転を使って──水中からプールサイドに後ろ向きに“飛び上がった”水泳パンツ姿のタリスが、(やはり編集上のトリックを通じて)スーツにコートと山高帽を身にまとう。そしてそのまま彼がプールの水のなかへと再び歩いて入って行く姿が(二重焼きを使って)示される。ヴィゴが何か「アヴァンギャルド的な」ことをしたいと考えたがためにこのような処理がなされたようである。彼がリアリスティックな内容と装飾的な形式を混ぜ合わせて新奇な表現を産み出すやり方に自覚的になったのは、本作を監督してからのことだといわれる。そして上述のテクニックはほぼすべて、次作『新学期・操行ゼロ』でも活用されることになるだろう。 実のところ、ヴィゴ自身は本作のことをあまり気に入っていなかったようだが、一ヶ所だけ例外があった。それは、水中撮影のくだりである。水の中にあることで奇妙なものに見える人間の頭部に魅せられた彼は、こうした画が映画的表現にもたらす可能性を思い描いたという。そしてもちろん、水中撮影──だけでなく、おそらく(本作の最後に認められる)水と人物のディゾルヴも──は、のちに『アタラント号』でみごとに活かされることになる。

(2017年12月22日発売 ブルーレイ封入ブックレットより転載)
©1931 Gaumont

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